« (対韓輸出の厳格化 不当許さぬ国家の意思だ) | 僕の人生には事件が起きない, Copyright(C)SHINCHOSHA ALL Rights Reserved. トップページ 本のタイトル(『皇室はなぜ世界で尊敬されるのか』)を見て、よくある日本礼賛本と思われる方もいるかもしれない。しかし本書は、戦後の日本が国際社会で存在感を高める中で、皇室の国際的活動がいかに大きな貢献をしてきたかを見事にまとめた、他に例を見ない力作である。, 皇室を外交資産たらしめているものは何か。筆者はそれを「長い歴史と伝統の蓄積」と「それに立脚した先の天皇皇后両陛下を中心とした皇族の人間力」としている。, 長年、サウジアラビアの駐米大使を務めたバンダル・ビン・スルタン王子は帰国後、国家安全保障会議の事務局長という重職についた。面会が極めて難しいことで知られたが、当時の中村滋(しげる)駐サウジ大使は2度私邸で会い、イランとの水面下の交渉などの重要情報を得た。その際、事務局長は「通常、外国の大使には会わないが日本は例外である。なぜなら日本の皇室を尊敬しているからだ」と述べたという。, 皇室は戦後日本の統合の象徴として日本国民から支持を得ていると国際社会でみなされている。その存在感の大きさは、実際に外交の場にいれば理解できる。そして、皇室の国際的活動は、個別の外交課題を一つずつ具体的に解決していくものではないが、そのための空気を醸成する役割を果たす。, 昨年7月から今年2月までフランスで開かれた日本文化を伝えるイベント「ジャポニスム2018」は、総動員数300万人を超える大成功を収め、アンケートでは96%の人が「日本により親近感を感じるようになった」と答えた。, しかし、両国の交流は、突然深まったわけではない。大きな契機となったのは、1994年の先の天皇皇后両陛下のフランスご訪問であった。日本からの初めての国賓だったということもあり、シャンゼリゼ通りには両国の国旗が掲げられ、大ニュースとして新聞、テレビで連日報じられた(海外から見ると日本の国家元首は天皇なので、総理大臣が訪問しても国賓扱いにならず、両国国旗掲揚もない)。私は当時駐フランス大使として両陛下をお迎えした。そもそもフランス人は日本の文化、経済を高く評価しているが、この時の歓迎ぶりは、皇室への敬意と高い好感を表したものでもあった。, その後97年には、紀宮さまが国賓並みの待遇で招かれた。これは3年前の両陛下のご訪問の成功を受けてのもの。そして、それが「ジャポニスム2018」の成功へとつながっている。皇室の国際的活動はすぐに結果が出るものではないけれども、国際交流に広く深い影響を及ぼすと考えるべきなのである。, 皇室が「なぜ世界で尊敬されるのか」、さらに知るためには実際に本書を読んでもらうしかないが、本書のもう一つの魅力は、皇室の国際的活動に関する知られざるエピソードを、いくつも掘り起こしていることだ。, 1953年のエリザベス女王の戴冠式には当時の明仁皇太子が出席した。第2次大戦終結後まもなくということもあり、日本に向ける英国社会のまなざしは厳しく、式で用意されたのは末席だった。ところが、それを見かねて最前列の自分の席の近くに呼び寄せたのが、後にサウジの国王となるファイサル王子だった。その18年後の71年、ファイサル国王は国賓として日本に招かれるが、これは戴冠式での恩義にも関係していると筆者はみる。, 1921年に当時皇太子だった昭和天皇が、パリでスペイン国王アルフォンソ13世と昼食会を持っていたという話も初耳だった。80年に来日したフアン・カルロス1世に、昭和天皇が「私はあなたのおじいさんにごちそうになったことがあります」と囁いた言葉をきっかけに、吉川元偉(もとひで)スペイン大使の執念で、詳細が明らかになる。これはスペインの公的な対外政策史の中でも引用され、両国関係の緊密化に寄与した。, 新天皇についてのエピソードでは、雅子皇后とのご成婚にも尽力した山下和夫東宮侍従長が登場する。山下氏はモロッコ大使を経験した経歴を生かし、1991年に徳仁皇太子のモロッコ訪問を実現させる。ご成婚後、最初の外国訪問もアラブ諸国だったが、新天皇とアラブ諸国との縁は、皇太子時代のモロッコ訪問から始まったと言ってもよい。, 本書には多くの外交官が登場する。ほとんど私が存じ上げている人たちだが、深い取材により、外交官が皇室の国際的な活動をしっかりと支えていることが書かれてある。外務省のOBとしては誇らしい限りだ。, こうした皇室の活動を知ってもらうためにも、一人でも多くの方に本書を読んでもらいたい。そして、その皇室の活動がどうすれば今後も変わらず続けられるのか、多くの国民に考えてもらう機会になればと思う。, 2015(平成27)年10月号で通巻550号を迎えました。読書情報誌としての重要な役割の情報発信はもちろんのことですが、「波」連載からは数々のベストセラーが誕生しています。これからも、ひとところにとどまらず、新しい試みで、読書界・文学界の最新の「波」を読者の方々にご紹介していきたいと思っています。, 【購読のお申し込みは】 Copyright © 2012 nansei-shuppan.com All Rights Reserved. ・「1953年の〈エリザベス女王の戴冠式〉には当時の〔明仁皇太子〕が出席した。第2次大戦終結後まもなくということもあり、日本に向ける英国社会のまなざしは厳しく、式で用意されたのは〔末席〕だった」 戴冠式(たいかんしき、coronation)は、君主制の国家で、国王・皇帝が即位の後、公式に王冠・帝冠を聖職者等から受け、王位・帝位への就任を宣明する儀式。 即位式(そくいしき)とも言うが、特に王冠を戴くのではない形式のものに用いられる(例:オランダ)。 (日本大使館貴賓室を宿所に)  皇太子の渡英直後のロンドンでは、松本大使主催の皇太子殿下歓迎会が開催され、日本人関係者ばかりでなく、日本にゆかりの深い英国人をはじめとする欧米人らも多数招待された。もちろん、招待客のなかには知日派のBBCの役員なども含まれていた。藤倉修一や石田達夫ほかのBBC日本語部局員らは、大使館員とも協力し合ってその歓迎会の推進役を務めさせられることになった。, 南勢出版は「甑島再見紀行」と「自詠旅歌愚考絵葉書(短歌絵葉書)」とを自費出版するために、さらには、関東在住の郷里関係者の情報交換の場を提供するために便宜上設けた名目だけの出版社です。書店流通ルートも出版コードも有してはおりません。.  松本大使以下のお出迎え関係者はクイーン・エリザベス号船内の皇太子専用の特別室を訪ね、ご挨拶かたがた皇太子の長旅の疲れを鄭重にねぎらった。日本からの随行員は宮内庁から派遣された担当官2人のみであった。藤倉修一と石田達夫とが旅のご感想などについて皇太子に簡単なインタビューをお願いすると、即座にその申し出は快諾された。まだ十九歳になったばかりの若々しい皇太子は、にこやかな笑みを湛えながら、イギリスに至るまでの旅のエピソードなどを楽しそうにお話しになった。  幸いなことに、皇太子が渡英して以降、再び反日ムードが高まるようなことはなくなったので、皇太子一行も日本大使館関係者も皆安心してエリザベス女王の戴冠式の日を待ち望むことができるようになった。そのため、5月に入ると文字通り続々と世界各国の国家元首や王族たちが戴冠式出席のため渡英するようになってきたので、日本の皇太子の動向に英国民の目が特別に注がれるようなこともなくなり、その意味でも皇太子一行はイギリス国内において安全かつ自由な行動をとれるようになったのだった。

時は1953年、当時27歳だった現イギリス女王エリザベス2世の戴冠式が執り行われた(写真)。左側がエリザベス2世の母エリザベス・ボーズ・ライアン、右側が妹のマーガレット・ローズ、2人の間で頬杖をつきながら戴冠する母を見つめているのが幼き日のチャールズ皇太子だ。 (英国で『末席』を用意された明仁皇太子を『最前列』に呼び寄せた人物とは?), https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190702-00571375-bookbang-soci, ・〔トランプ米大統領〕〔メラニア夫人〕を国賓としてお招きした〔徳仁新天皇・雅子新皇后〕の令和皇室外交の始まりだったが、元外交官である〔雅子新皇后〕の体調も、〔得意分野〕もあってか上向きのようで喜ばしい限りである。, ・これも〔上皇・上皇后〕の〔皇太子・皇太子妃〕時代からのご努力の賜物、否、〔昭和天皇〕時代からの皇室外交の基盤・・・と、面白い記事である。元駐在仏大使・ユネスコ元事務局長:〔松浦晃一郎〕氏の推薦本であれば、「読まなきゃなぁ」と心がそそられる。, ・「【英国で『末席』を用意された天皇陛下を『最前列』に呼び寄せた人物とは? 天皇陛下が尊敬される理由】Book Bang 7/2(火) 6:10配信」, <皇室は、最強の外交資産だ。「私は通常、外国の大使には会わないが日本は例外である。日本の皇室を尊敬しているからだ」(サウジアラビアの王族)>, ・「本のタイトル(『皇室はなぜ世界で尊敬されるのか』)を見て、よくある日本礼賛本と思われる方もいるかもしれない。しかし本書は、戦後の日本が国際社会で存在感を高める中で、皇室の国際的活動がいかに大きな貢献をしてきたかを見事にまとめた、他に例を見ない力作である」, ・「皇室を外交資産たらしめているものは何か。筆者はそれを『長い歴史と伝統の蓄積』と『それに立脚した先の天皇皇后両陛下を中心とした皇族の人間力』としている」, ・「長年、サウジアラビアの駐米大使を務めた〔バンダル・ビン・スルタン王子〕は帰国後、国家安全保障会議の事務局長という重職についた。面会が極めて難しいことで知られたが、当時の〔中村滋(しげる)駐サウジ大使〕は2度私邸で会い、イランとの水面下の交渉などの重要情報を得た」, ・「その際、事務局長は『通常、外国の大使には会わないが日本は例外である。なぜなら日本の皇室を尊敬しているからだ』と述べたという」, ・「皇室は戦後日本の統合の象徴として日本国民から支持を得ていると国際社会でみなされている。その存在感の大きさは、実際に外交の場にいれば理解できる。そして、皇室の国際的活動は、個別の外交課題を一つずつ具体的に解決していくものではないが、そのための空気を醸成する役割を果たす」, ・「昨年7月から今年2月までフランスで開かれた日本文化を伝えるイベント【ジャポニスム2018】は、総動員数300万人を超える大成功を収め、アンケートでは96%の人が『日本により親近感を感じるようになった』と答えた」, ・「しかし、両国の交流は、突然深まったわけではない。大きな契機となったのは、1994年の先の天皇皇后両陛下のフランスご訪問であった。日本からの初めての国賓だったということもあり、シャンゼリゼ通りには両国の国旗が掲げられ、大ニュースとして新聞、テレビで連日報じられた(海外から見ると日本の国家元首は天皇なので、総理大臣が訪問しても国賓扱いにならず、両国国旗掲揚もない)」, ・「私は当時駐フランス大使として両陛下をお迎えした。そもそもフランス人は日本の文化、経済を高く評価しているが、この時の歓迎ぶりは、皇室への敬意と高い好感を表したものでもあった」, ・「その後97年には、紀宮さまが国賓並みの待遇で招かれた。これは3年前の両陛下のご訪問の成功を受けてのもの。そして、それが【ジャポニスム2018】の成功へとつながっている。皇室の国際的活動はすぐに結果が出るものではないけれども、国際交流に広く深い影響を及ぼすと考えるべきなのである」, ・「皇室が『なぜ世界で尊敬されるのか』、さらに知るためには実際に本書を読んでもらうしかないが、本書のもう一つの魅力は、皇室の国際的活動に関する〈知られざるエピソード〉を、いくつも掘り起こしていることだ」, ・「1953年の〈エリザベス女王の戴冠式〉には当時の〔明仁皇太子〕が出席した。第2次大戦終結後まもなくということもあり、日本に向ける英国社会のまなざしは厳しく、式で用意されたのは〔末席〕だった」, ・「ところが、それを見かねて最前列の自分の席の近くに呼び寄せたのが、後にサウジの国王となる〔ファイサル王子〕だった。その18年後の71年、〔ファイサル国王〕は国賓として日本に招かれるが、これは戴冠式での恩義にも関係していると筆者はみる」, ・「1921年に当時皇太子だった〔昭和天皇〕が、パリでスペイン国王〔アルフォンソ13世〕と昼食会を持っていたという話も初耳だった。80年に来日した〔フアン・カルロス1世〕に、昭和天皇が『私はあなたのおじいさんにごちそうになったことがあります』と囁いた言葉をきっかけに、〔吉川元偉(もとひで)スペイン大使〕の執念で、詳細が明らかになる。これはスペインの公的な対外政策史の中でも引用され、両国関係の緊密化に寄与した」, ・「〔新天皇〕についてのエピソードでは、〔雅子皇后〕とのご成婚にも尽力した〔山下和夫東宮侍従長〕が登場する。山下氏はモロッコ大使を経験した経歴を生かし、1991年に〔徳仁皇太子〕のモロッコ訪問を実現させる。ご成婚後、最初の外国訪問もアラブ諸国だったが、新天皇とアラブ諸国との縁は、皇太子時代のモロッコ訪問から始まったと言ってもよい」, ・「本書には多くの外交官が登場する。ほとんど私が存じ上げている人たちだが、深い取材により、外交官が皇室の国際的な活動をしっかりと支えていることが書かれてある。外務省のOBとしては誇らしい限りだ。こうした皇室の活動を知ってもらうためにも、一人でも多くの方に本書を読んでもらいたい。そして、その皇室の活動がどうすれば今後も変わらず続けられるのか、多くの国民に考えてもらう機会になればと思う」・・・, ※国際社会における皇室の存在感 ――松浦晃一郎 『波』2019年6月号より [レビュアー]松浦晃一郎(元駐在仏大使、ユネスコ元事務局長), 《現在、世界にある君主国は28。その中で最古の歴史を誇る皇室は、他の王室、そしてすでに王室を失ってしまった国々からも、深い敬意を向けられている。皇室という外交資産は、どう受け継がれていくのか。歴史的エピソードに照らして考える。【皇室はなぜ世界で尊敬されるのか】西川 恵[著](新潮社)》, メールアドレス: エリザベス女王も自身の戴冠式の折に身につけた他、議会の開会式に臨む際は着用しているそう。 使用されているダイヤモンドは1,333個、合計で325.75カラットというから、驚き! 1953年のエリザベス女王の戴冠式には当時の明仁皇太子が出席した。第2次大戦終結後まもなくということもあり、日本に向ける英国社会のまなざしは厳しく、式で用意されたのは末席だった。  日本の皇太子のサウサンプトン港到着を翌日に控えた4月26日、バッキンガム宮殿から、エリザベス女王直々の特別メッセージが英国民に向けて発表された。そのメッセージは、「この度の戴冠式参列のために訪英してくださる各国の国賓の方々は、どなたも私の大切なお客様です。英国民の皆様には、その遠来のお客様方を温かく迎えてくださるように心からお願い申し上げる次第です」という内容のものであった。日本の皇太子の訪英に直接言及したメッセージではなかったが、その翌日にイギリスに到着する予定の国賓は日本の皇太子だけであったことからすると、そのメッセージが過度な反日運動に警告を発し、その沈静化を促すものであることは明白だった。 エリザベス英女王の戴冠式で天皇陛下が案内されたのは敗戦国ということで序列にそぐわない席、その時「皇太子! 」と駆け寄ったのがヨルダンの国王、前年国王に即位したばかりの17歳の国王は同世代の19歳の皇太子を自分の席に連れて行った。  外国人賓客に対し温かくそして節度ある行動をとるようにと国民を促すそのメッセージに続いて、皇太子の到着当日の朝になると、エリザベス女王と皇太子殿下との特別会見の日時がバッキンガム当局によって公表された。そして、驚くべきことに、バッキンガム当局からの一連の発表を境にして反日を謳う前日までの不穏な動きは嘘のように鎮まったのだった。もちろん、それは英王室と英国民の間に長い時間をかけて築き上げられた深い信頼関係のなせる賜物にほかならなかった。

戴冠式(たいかんしき、coronation)は、君主制の国家で、国王・皇帝が即位の後、公式に王冠・帝冠を聖職者等から受け、王位・帝位への就任を宣明する儀式。即位式(そくいしき)とも言うが、特に王冠を戴くのではない形式のものに用いられる(例:オランダ)。, 日本では、即位の礼の中心儀式である即位礼正殿の儀がこれに相当する。非キリスト教国でも、タイ、ブルネイ、マレーシアの東南アジア諸国や、中近東の君主制国家では、戴冠式やそれに類似した即位式が行われる。, 戴冠式は、高僧や神官、高位貴族が、新君主に王冠・帝冠をかぶせることにより行われる。先代君主が存命中に、先代君主自身の手により行うこともある。また、全ての君主制の国に王冠・帝冠が存在するわけではない。, 古くは、アケメネス朝ペルシア帝国(紀元前550年 - 紀元前330年)で、ゾロアスター教の大司教が皇帝に戴冠したとされる。, キリスト教国では、高僧が新君主の頭に聖油を注ぎ、神への奉仕を誓わせる儀式が主体となる。このため、イギリスでは聖別式(consecration)、フランスでは成聖式(sacre あるいは sacre de roi)といわれた。, 聖別式の起源は、『旧約聖書』の「列王記下」に記された故事にある。同書には、ソロモン王が王冠を受けたことが記され、また、イスラエルとユダヤの諸王が聖別式を行ったことが記されている。「油塗られた者」(ヘブライ語の「マスィアッハ」)は「王」の婉曲的表現となり、後には救世主(ラテン語の「メシア」)を指すようになる。, ヨーロッパ大陸では、カール大帝が西ローマ帝国(神聖ローマ帝国)を再興して、ローマ教皇から帝冠を受けた西暦800年から、皇帝フリードリヒ3世がローマに赴いてローマ教皇から帝冠を受けた1440年まで、聖油を注ぐ慣習が行われた。, アングロ・サクソンの年代記には、デーン人の大軍を破ってイングランドを死守したアルフレッド大王が、872年に聖油を頭に受けて即位したとある。また、1066年には、ハロルド2世がロンドンのウェストミンスター寺院で戴冠式を行ったと記録され、12世紀まではローマ教皇から王冠を受けた。その後、多少の改変はあったものの、1189年のリチャード1世のとき、イギリスの戴冠式の様式がほぼ確立した。, カトリック国では、国王・皇帝のほか、ローマ教皇が即位する際にも戴冠式が行われた。14世紀のクレメンス5世(在位:1305年 - 1314年)のときからは、三重冠(教皇冠、英語版:Papal Tiara)が戴冠された。バチカン市国の国旗・国章にも、この三重冠が描かれている。しかし、三重冠の戴冠は、1978年のヨハネ・パウロ1世即位の際廃止された。ヨハネ・パウロ1世は、三重冠をアメリカ合衆国のワシントンD.C.にある無原罪の御宿りの聖母教会に寄贈した。2005年に即位したベネディクト16世は、紋章からも三重冠を廃した。ヨハネ・パウロ1世以降のローマ教皇の即位式は「着座式」と呼ばれる。, 1977年12月4日には、中央アフリカ共和国のボカサ大統領が、約2000万ドル(国家予算の1/4)もの巨費をつぎ込んで、贅を尽くしたフランス風の戴冠式を行い、中央アフリカ帝国初代皇帝ボカサ1世に即位した(「黒いナポレオン」)。, まず、カンタベリー大主教が祈祷し、国王は宣誓して「スクーンの石」がはめ込まれた戴冠式の椅子「キング・エドワード・チェアー」(エドワード懺悔王の椅子、英語版:King Edward's Chair)に着く。大主教は、国王の頭と胸、両手のてのひらに聖油を注ぐ。, 次に、国王は絹の法衣をまとい、宝剣と王笏、王杖、指輪、手袋などを授けられ、大主教の手により王冠をかぶせられる。国王は椅子に戻り、列席の貴族たちの祝辞を受ける。その後、国王の配偶者も宝冠(coronet)を受ける。, 1953年(昭和28年)6月2日に行われた女王エリザベス2世の戴冠式では、純金製で重さ約2kgの「聖エドワード王冠」、英語版:St. Edward's Crown)が戴冠された。この王冠は重すぎるため戴冠式以外では用いられず、その後の儀式では「インペリアル・ステート・クラウン」(大英帝国王冠、Imperial State Crown)が用いられている。この式の際には、日本から皇太子明仁親王(上皇)が、昭和天皇の名代として列席した。, 1996年、戴冠式用の椅子である「キング・エドワード・チェアー」(エドワード王の椅子)にはめ込まれていた「スクーンの石」が、スコットランドに返還された。スクーンの石は、1296年にエドワード1世が、スコットランドから持ち去った物で、スコットランド征服の象徴として、歴代イングランド王の戴冠式で王の尻に敷かれていた。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=戴冠式&oldid=80263515. », 2019年07月02日

「イギリスの王室と日本の皇室 2020/10/28 《時流遡行》コンピュータから見た人間の脳(筆者講演録より)――(1)(2017,01,15), 《時流遡行》コンピュータから見た人間の脳(筆者講演録より)――(2)(2027,02,01), 《時流遡行》コンピュータから見た人間の脳(筆者講演録より)――(3)(2017,02,15), 《時流遡行》コンピュータから見た人間の脳(過去の講演録より)――(4)(2017,03,01), 《時流遡行》コンピュータから見た人間の脳(過去の講演録より)――(5)(2017,03,15), 《時流遡行》コンピュータから見た人間の脳(過去の講演録より)――(6)(2017,04,01), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (1)(2019,10,01), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (2)(2019,10,15), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (3)(2019,11,01), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (4)(2019,11,15), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (5)(2019,12,01), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (6)(2019,12,15), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (7)(2020,01,01), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (8)(2020,01,15), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (9)(2020,02,01), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (10)(2020,02,15), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (11)(2020,03,01), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (12)(2020,03,15), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (13)(2020,04,01), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (14)(2020,04,15), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (15)(2020,05,01), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (16)(2020,05,15), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (17)(2020,06,01), 《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (18)(2020,06,15), 《時流遡航:233》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ(19)(2020,07,01), 《時流遡航:234》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (20)(2020,07,15), 《時流遡航235》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ(21)(2020,08,01), 《時流遡航236》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (22)(2020,08,15), 《時流遡航237》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (23)(2020,09,01), 《時流遡航238》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (24)(2020,09,15), 《時流遡航239》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (25)(2020,10,01), 《時流遡航240》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (26)(2020,10,15).