歴代横綱 歴代大関 歴代三役等 歴代優勝・三賞. 歴代力士. 令和2年11月場所. 7日目の全取組【予定】 令和2年11月場所の各段成績順. 歴代力士. 歴代各段優勝 歴代三賞 歴代準優勝等 その他歴代記録.

相撲部屋や出身地ごとの場所の成績からランキングを作成しております。初場所、好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?, 双子の兄で口元にホクロがあるのが貴ノ富士。平成30年初場所後に新十両昇進を決めて、先に十両昇進を果たしていた弟の貴源治と共に「史上初、双子関取」の誕生となった。, しかし迎えた新十両である3月場所8日目に付け人に対し暴力を加えたことが発覚し9日目より休場、翌1場所の謹慎処分を受ける。これにより幕下へと陥落。, 平成31年初場所より四股名を貴公俊から貴ノ富士に改めて心機一転、翌場所再十両を果たすなど「土俵上」に集中できはじめたと思った矢先、再度暴行問題が。これにより令和元年9月26日の理事会で自主引退を促す決議を受けた貴ノ富士は、一度は不服として徹底抗戦の構えをみせていたが、一転して10月11日に引退届を郵送、受理されて引退となった。, 稀勢の里(現・荒磯親方)の付け人として献身的に横綱を支えてきた。平成30年の秋巡業では弓取り式デビューを果たす。稀勢の里の断髪式でも最後に弓取り式を務めあげて「横綱」の新たな門出を飾った。, 小学4年の頃から嵯峨相撲クラブで相撲を始め、京都市立栗陵中学3年次に全国中学校体育大会に出場。親孝行がしたいと自らすすんで九重部屋の門を叩いた。, 高校時代は大阪偕星学園野球部に所属。相撲の経験はなかったが二子山親方の内弟子として藤島部屋に入門。親方の独立とともに二子山部屋所属となった。, 大阪府貝塚市出身。小学生の頃より柔道を始めて身体を鍛えた。祖父に勧められてことで相撲の世界へと飛び込んだ。, 小学生の頃から野球少年だったがプロレスラーにも憧れており、高校3年生の1月にはノアの練習生テストを受けたが惜しくも不合格。角界入りのきっかけは高校2年の時に職場体験で立浪部屋を訪れた際、同部屋の飛天龍とLINE交換したこと。, 相撲はもちろんスポーツの経験も特になかったが、テレビで紹介されていた式秀部屋の雰囲気が良かったことで親方と直接会い、入門を決めた。, 愛知県海部郡蟹江町出身。西陵高校時代にはラグビー部に所属しポジションはロックやプロップ。激しい当たりとスクラムで鍛え上げた。, 狭山小学1年の頃から入間少年相撲クラブで相撲を始めて小6でわんぱく相撲全国大会に出場、ベスト32に。中学時代は足首や腰の怪我で練習があまりできなかったが鳴戸親方に誘われたことで入門を決めた。, 腰の怪我のために初土俵は7月となったが、その前相撲最後の千鵬戦で右膝蓋骨脱臼の怪我を負いそのまま救急車で病院に。新序出世披露も欠席となってしまった。, 元横綱・稀勢の里が襲名した荒磯の歴史を知りたくありませんか?こちらの記事では詳細プロフィール付きで荒磯代々についてご紹介しています。, 日体大3年次にアマチュア横綱のタイトルを獲得し幕下15枚目格付出資格を得たが大学卒業を選んだため、前相撲からの初土俵となった。その初土俵からわずか13場所目には新入幕を果たす。, 年齢を重ねるごとに増していた相撲力でファンを魅了し続けていたが、令和元年6月に故郷である大分県佐伯市が企画したPRイベントに参加し渓流下りを行った際に右膝を痛めて緊急手術。, 7月場所を全休し十両へと陥落、負った怪我の影響はおおきく令和元年9月場所5日目に引退を表明。年寄・中村の襲名が承認された, 小学生の頃から相撲を始め鰺ヶ沢第一中学3年次には全国中学校相撲選手権大会で準優勝。五所川原農林高、近畿大学と学生相撲で活躍したのちに伊勢ヶ濱部屋の門を叩いた。元小結・舞の海は小・中学校の先輩。女将さんの従姉妹と平成28年に結婚。怪我の影響もあり平成30年7月場所の負け越しで十両から幕下へと陥落。さらに左肩の手術などもあり一時は序二段まで番付を下げた。令和元年9月場所13日目に引退を表明、17代楯山襲名が承認された。, 小学生の頃から相撲を始めて中学は鳥取へと相撲留学し3年次に全国大会優勝。鳥取城北高校1年次には全国高等学校総合体育大会相撲競技大会に優勝し高校横綱の称号を手にした。日大4年次に国体横綱に輝き幕下15枚目格付出の資格を獲得。この頃に白鵬からスカウトを受けたことで宮城野部屋へと入門、白鵬初の内弟子となった。十両昇進時に「大勢の人に喜んでもらえるように」との想いで大喜鵬へと改名。平成25年5月場所で新入幕を果たすが怪我などの影響もあり番付は徐々に降下、さらにバセドウ病との診断が下った。一時は相撲を諦めかけたが投薬治療と丹念な稽古で平成28年11月場所で再十両を遂げた, 幕下上位での右膝負傷で2場所休場。復帰後も幕下15枚まで番付を戻したこともあったが令和元年9月場所を最後に引退となった, 長崎県の五島町出身で有川中学時代は柔道。初土俵から4場所は「五ノ海」の四股名で土俵にあがっていた, 師匠の甥で、四股名は「相撲界に自分の国をつくる気持ちで頑張れ」との想いで武蔵川親方が命名。来日当初は藤島部屋の部屋付親方だった振分(現・武蔵川親方)のもとで稽古を積んでいたが、外国人力士枠の関係で正式入門は叶わず。他の部屋への入門も検討されたが、叔父である親方は自ら部屋を興すことで甥の道を拓いた。番付を徐々にあげていたが平成30年頃から体調を崩し、最終的には師匠と話し合った末に引退となった, 兵庫県の飾磨工業高校柔道部で、柔道全国高校定時制通信制大会の団体9連覇に貢献。柔道部の顧問から田子ノ浦部屋への入門を勧められ、初めは断ったがのちに自ら決めて入門した, 小学生の頃は空手、中学では柔道。勝山高校では部活で相撲を始めて80kg未満級で活躍をみせた。高1の頃に出会った若の里(現・西岩親方)の勧めで高校卒業と共に内弟子として田子ノ浦部屋へと入門。西岩親方の一番弟子だった, 蒲原小5年の頃から柔道を始めて中1の夏からはボクシングも。相撲経験はなかったが中学校の先生の紹介で東関部屋に入門, 5歳の頃から柔道を始めて小5で岐阜県大会ベスト8、那加中学3年次には各務原市大会81kg超級で優勝も, 荒汐部屋の「荒波3兄弟」と同じ学法福島高出身。3度もの頚椎骨折を乗り越えて現役を続けた鉄人。平成29年名古屋場所では三段目で全勝優勝。平成30年8月の稽古中に負傷し、医者からは胸椎ヘルニアとの診断が。このまま相撲を続けていると下半身不随になる可能性が高いと医者に宣告され、1年間悩んだ末に引退を決意, 小学生の頃から相撲を始めて鰺ヶ沢高校を卒業後、実兄である安壮富士がいた安治川部屋へと入門。入門から3年で新十両へと昇進、その3場所後には新入幕を果たした。貴乃花最後の一番の相手であり金星で引導を渡す。, 平成15年(2003)7月場所の闘牙戦で前十字靭帯と半月板損傷の大怪我を負ったことが膝の怪我との長い付き合いの始まり。朝青龍から4つもの金星を奪った相撲巧者であり行司泣かせの取り口。, 平成28年(2016)5月場所でアキレス腱断裂の大怪我。翌場所を全休して幕内陥落となったが平成29年11月場所で史上最高齢39歳での幕内再昇進を決めた。伊勢ヶ濱親方は父親の従兄弟。令和元年7月場所2日目の尾上部屋・竜虎戦にて古傷の右膝を痛めて休場、10日目に引退表明となった。8代安治川を襲名, たちばな小2年の頃から雄新中学3年生まで野球漬けでポジションはキャッチャー。相撲経験はなかったがテレビなどを見て角界入りを決めた, 西ノ島中学時代はバレーボール部。隠岐島前高校ではレスリング部に所属して高校総体に3年連続出場、高1で全日本ジュニア3位に。県大会では無敗だった, 名張市立美旗小4の頃から中学まで野球少年。また、小3の頃から伊賀上野ボクシングジムにもたまに顔を出していた。平成30年11月場所では惜しくも序二段優勝は逃したが全勝での決定戦を経験した, 中学は卓球部に所属。五所川原商業高に入学してから相撲を始めて十和田大会でベスト16入り, フィリピンで母方の祖母に育てられていたが、平成30年に来日。日本に住んでいた兄の勧めで立浪部屋に連絡を取り入門となった。, 四股名は「はやい相撲を取れ」との想いを込めて、先代の師匠である10代出羽海(元関脇・鷲羽山)が名付けてくれた, 鳴戸親方と同じブルガリアからやって来たレスリングジュニア王者。入門時の背筋力は何と205kg!これは成人男性平均の約1.5倍。部屋ではベンツィと呼ばれて親しまれていた, 橋本小2年から橋本クラブで野球を始めて中学時代には京都大会で優勝。八幡高校ではレスリング部に所属し高2で国体120kg級グレコローマンで5位に。「北勝心」から「芯」が通るようにとの想いで改名, 小学生の頃から野球少年で中2の時には県大会で2位に。平成26年の11月に朝倉市内で片男波親方と偶然2回会い、さらに親方が後援会の方に連れられて行った店が母親が経営しているスナックだったことに運命を感じて入門を決意した。平成29年九州場所を前にしてあごの骨を折る大怪我を負い2場所全体で番付外に、前相撲から再出発となった, 埼玉栄高校出身。序ノ口初土俵で全勝優勝を果たすも翌2場所は全休。完全復帰場所を2度目の序ノ口全勝優勝で飾ったが、またもや怪我のため休場が続いて番付外に陥落。ところが3度目となる序ノ口復帰場所でも全勝優勝という「序ノ口全勝優勝3回」の記録を持つ, 松戸市矢切小5の時に「すき家」で出会った佐渡ヶ嶽部屋のマネージャーに勧められて入門を決意。その後、柏相撲少年団で相撲を習い始めた。中学では柔道部に所属し県大会90kg超級でベスト8, 中国での日本語学校教師が内定していたが一念発起して間垣部屋へと入門。平成25年3月場所後の間垣部屋に伴い伊勢ヶ濱部屋へと移籍した。平成29年3月場所では35歳での新幕下昇進を果たす, 小2から中1まで続けた空手は二段の腕前。相撲経験はなくバスケの選手だったが土浦第二高校を卒業後、力士になるべく自ら進んで西岩部屋の門を叩いた。相撲教習所を卒業時、抜群の学習成績を収めた力士に贈られる「優等賞」を西岩部屋として初受賞するなど頑張っていたが、西岩部屋のホームページで令和元年5月7日付で引退したと発表された。理由は「素行不良」とのことだが詳細は不明, 小さな頃から習っていたピアノが特技で両親とバンドを組んでいたことも。同じ部屋だった安芸乃山は双子の兄だが性格は全く違い安芸の花は活発的で兄は物静か。平成24年初場所では幕下で優勝決定戦に進出, B’zのファンで相撲甚句の名手として自慢の喉を響かせていた。平成26年5月場所では三段目で全勝同士の優勝決定戦を経験。また、平成28年初場所では幕下で優勝決定戦に進出した, 熊本の同郷であり文徳高と日本大学の先輩でもある尾上親方のもとに入門。平成23年5月の技量審査場所では東幕下6枚目で4勝3敗だったが大相撲八百長問題で多数の引退者が出たこともあり翌7月場所での新十両昇進を決めた。昇進とともに改めた四股名は、出身地である玉名市天水町の「天」と「鎧」のように力強くという想い、そして「鵬」の字を用いて父親が付けてくれた。十両昇進後は堅実に勝ち越しを積み上げて所要3場所で新入幕を遂げた。巨体を活かした寄りが武器だった。平成31年3月場所を最後に引退。琴奨菊から年寄株を借りて13代秀ノ山を襲名, 右膝の靭帯断裂など3度の大手術を経験。平成26年5月場所では三段目で全勝優勝を飾った, 千葉商科大学付属高等学校では柔道部で活躍。大学進学が内定していたが相撲の道を選んだ。四股名は地元の代名詞である隅田川から, 千賀ノ浦部屋創設時を知る最古参だった。出世魚である鰤(ぶり)は北陸の寒ブリ、特に富山の氷見ぶりが有名。鰤乃里は富山のお隣り石川県七尾市出身, 愛知県長久手市の中京クラブ出身。中3で出場した全国中学校相撲選手権大会では個人で64強入り, 大阪府交野市出身。大阪の清風高校ではアメフト部に所属していた。卒業後は浪人生活を経て芝田山部屋の門を叩いた。実は東大文科1類(法学・政治学系)を目指していた文武両道派, 十両昇進に新入幕、ともに貴花田に次ぐ戦後2位の年少記録。四股名は「稀な勢いで駆け上がる」との想いで先代の師匠が名付けてくれた。しかし入幕から7年目での大関昇進を目前にして先代の師匠が急逝。また大関で5年も足踏みするなど、その名の通りにはいかなかったが平成29年1月場所でようやく悲願の初優勝をあげ横綱へと昇進。翌場所は怪我をおして奇跡の大逆転で連覇を果たした。しかしその代償はあまりにも大きく、平成31年1月場所で引退となった, 貴乃花が自身で育てた初の関取、平成29年(2017)1月場所で初対戦だった白鵬との一番に勝利し初金星を獲得。しかし11月場所を控えた巡業中に日馬富士から暴行を受け本場所を2場所連続休場。本来であれば幕下陥落の計算になる平成30年3月場所は、社会問題にまで発展した傷害事件を鑑みて特別措置で十両に留まった。復帰から十両優勝を含む4場所連続勝ち越しで番付を上げていたが、冬巡業中に付け人に対して暴力を振るったことにより引退となった, 中央大4年次に全国学生相撲選手権大会で優勝し学生横綱を獲得、幕下15枚目格付出の資格を得て尾車部屋の門を叩いた。初土俵から3場所目ではやくも十両昇進、十両も3場所で通過し6場所目で新入幕を果たす。平成26年(2014)9月場所での新関脇昇進は35歳2ヵ月という戦後一位の高齢昇進であり、尾車部屋として初の関脇誕生でもあった。また、平成28年(2016)8月には秋田県から県民栄誉賞を授与された。東十両12枚目で迎えた平成31年(2019)初場所で負け越しが決まったことで10日目に現役引退を表明。生涯場所数は100場所、うち98場所で関取を務めた, 長崎県諫早市出身、境川部屋の元力士で最高位は幕下3枚目。小学生の頃から相撲と空手を習い、わんぱく相撲へも出場したが本当は相撲もスポーツも嫌いだった。しかし、サポートしてくれていた母親のことを想うと「辞めたい」とはとても言えなかった。母子家庭で育てあげてくれた母親孝行のため、高校相撲部の大先輩でもある境川親方のもとへ入門。左膝の負傷による休場で、一時は番付を序ノ口にまで落としたが平成27初場所と3月場所で序ノ口、序二段全勝優勝を遂げ復活をアピールした。, モンゴルでは柔道で2位。相撲留学で鳥取城北高校に入学し3年次には選抜高校相撲宇佐大会で個人3位に。鳥取県体育協会職員を経て朝日山親方の内弟子として尾車部屋へと入門。親方の独立とともに朝日山部屋所属となり部屋頭として頑張っていたが突然の引退となった, 同期は琴光喜や高見盛、濱錦に若荒雄という平成11年初土俵の大ベテラン。相棒だった琴大信が引退するまでは初っ切りを、平成29年春の巡業では弓取り式を担当, 錦戸部屋の最古参だった。幼い頃からの夢だった力士になり、相撲教習所では指導員も務めた。「彩の国」埼玉の深谷市出身, 同部屋の大成道は弟で、大成道が十両昇進を果たした場所では付き人もつとめた。平成31年1月場所を最後に引退を決めた, 群馬県の中学総体相撲で個人優勝。舛天竜からの改名では「竜」を現師匠由来の「隆」にあらためて、二人の師匠の想いを刻んだ, 取手第一中1年から柏高校1年までは柔道。高校を中退して千賀ノ浦部屋へと入門。演歌が好きで島津亜矢や五木ひろしが特にお気に入り, 5歳から柔道を始めて初段の腕前。相撲は小1からで小4の時にわんぱく相撲全国大会で小結(ベスト8)に。入間川部屋の元幕下・翼司の勧めもあり角界入りを決意, 西岩親方と同郷であり同じ弘前第二中学校出身。中2の頃から部活で相撲を始めて県大会58kg級個人戦でベスト8に。小さな頃からの夢だった力士の道へと歩を進めたが平成31年1月場所を最後に引退, ネットでの大相撲観戦といえばAbemaTV!「AbemaTV」での視聴方法について解説しています。序ノ口から結びの一番まで完全無料生中継!ぜひ確認してみてください。, ※当サイトは個人が運営するサイトであり、日本相撲協会及び、各相撲部屋とは関連がないことをご了承ください。, 内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。※当サイトは個人が運営するサイトです。. 平成29年九月 海舟 倫太郎 平成28年一月 小林 倫太郎 初土俵: 平成28年一月 引退場所 : 令和二年一月 ... 都道府県別出身力士数 ; 歴代記録. 歴代各段優勝 歴代三賞 歴代準優勝等 その他歴代記録. 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