回答お願いします, 電動ガンの平均的な寿命(?)というか、何発ぐらい撃つと調子が悪くなってくるのでしょうか? ハンターの知り合いが居るので一応そのへんは詳しいつもりです。

今度、東京.

競技用エアライフルを狩猟に使用することは”制度上は”可能ですが、競技用エアライフルは的紙を設置する10m先で精密性が最高になるように設計されているため、常にターゲットとの距離が変化する狩猟用途では使い物になりません。 こんにちは、おしま狩人です。エアライフルを使用して猟をするためには、銃の所持許可証と銃猟免許(ハンターライセンス)が必要です。最近急増しているシカやイノシシの止めさし用に、プレチャージ式のエアライフルを所持する人も少しずつ増えています。

ここでは、「ライフル射撃競技」を始めるにあたって、手続きの方法や、まずは気軽に参加して頂ける体験会についてご案内します。 必要な手続き・参加資格. 又はサングラスや, エアガンって法律違反になりますか? 免許を持っていれば庭で試し撃ちや練習をしても大丈夫すか? 日本には、エアガンメーカーによる団体が2つ存在している。まず歴史が古く、加盟メーカーの数も多いのが「ASGK」の略称で知られる日本遊戯銃協同組合。そして、そこから分かれて新しく作られた「JASG」の略称で知られる日本エアースポーツガン協会だ。エアガンの箱に書かれた「競技専用エアソフトガン」というフレーズの謎に迫るには、その2つの団体の生い立ちまでさかのぼる、長い長い話になってくる。 エアガン、実銃とされる「空気銃」と区別するために言葉を選んで書くと「オモチャの … | Air gun blog, The Beeman R1 Supermagnum air rifle 18 years later: Part 1 | Air gun blog, Do hollowpoint pellets work?

本ページは以下のメニューをご利用いただけます。 ... 競技用空気銃(エア・ライフル)を所持するための手続き・方法について案内しています。 ピストルを所持する方法 » 競技用空気けん銃、競技用けん銃を所持するための手続き・方法について案内しています。 ラ� 競技用銃砲所持の手続き .

免許の要る本物の空気銃で庭でビンや空き缶を撃って遊んだらなにかの違反になりますか? 第2種:空気銃(エアライフル) の2つがあります。 この2つの免許の関係性をカンタンに言うと「車の免許のマニュアルとオートマ」に近いです。 つまり、マニュアル(第1種)の免許を取っておけば、オートマ(第2種)の車も運転できるじゃないですか。逆にオートマ(第2種)の免許では、マニュアル(第1種)は運転できません。それと一緒な感じです。 免許試験はどちらもそれほ … お客様の許可なしに外部サービスに投稿することはございませんのでご安心ください。, エアガンを撃つ時のゴーグルは ホームセンターで売ってるゴーグルで いいでしょうか? APS-3の完全分解に必要になるツールをひとまとめにしたセットが新発売です。ツール全てをコンパクトに収納できるケースと、ケース内部でツールを整理整頓できるスポン ... 「ひたすらブルズアイ」などで使用している、あきゅらぼオリジナルのブルズアイターゲットのデザインが少しだけ変わりました。といっても、得点周り(得点圏線の幅とか間隔 ... 午前中はブルズアイをひたすら練習するブルズアイ練習会、午後からはプレートをひたすら練習するプレート練習会というスケジュールです。「ひたすらブルズアイ」という名前 ... 今回で第6回となる「ひたすらブルズアイ亀有」は、亀有北集い交流館という始めて使う施設での開催となりました。駅から5~6分ほど歩いたところにある一戸建ての施設で、 ... ほぼ一週間前となりましたが、今月の「ひたすらブルズアイ亀有」の会場となる亀有北集い交流館の下見をしてきましたので、会場の紹介と一緒に告知&エントリー受付をします ... Copyright© あきゅらぼ Accu-Labo , 2020 All Rights Reserved Powered by STINGER. APSは、Air Precision Shooting の略で、エアーガンによる精密射撃競技です。当協会(JASG)は、APSカップを始めとする競技会の主催・協力を通じて、スポーツとしての射撃の普及に努めております。, 日本エアースポーツガン協会(JASG)が主催するAPSカップは、エアースポーツガンによるスポーツシューティングを追求する競技会です。

空気銃(くうきじゅう)とは、空気又は不燃性ガスを用いて弾丸を発射する形式の銃の総称。 子供向けの玩具から、射撃、狩猟に用いるものまで、そのバリエーションは幅広い。 日本では一般に「空気銃」と呼ぶ場合、公安委員会の所持許可が必要な、いわゆる「実銃」をさすことが多い。

それで人を撃ったら銃刀法違反で捕まりますか? 庭でビール瓶を割って遊ぶならゴムパチンコでやっていればいいですかね~, 世の中の成功している男性には様々な共通点がありますが、実はそんな夫を影で支える妻にも共通点があります。今回は、内助の功で夫を輝かせたいと願う3人の女性たちが集まり、その具体策についての座談会を開催しました。, ※各種外部サービスのアカウントをお持ちの方はこちらから簡単に登録できます。

日本には、エアガンメーカーによる団体が2つ存在している。まず歴史が古く、加盟メーカーの数も多いのが「ASGK」の略称で知られる日本遊戯銃協同組合。そして、そこから分かれて新しく作られた「JASG」の略称で知られる日本エアースポーツガン協会だ。エアガンの箱に書かれた「競技専用エアソフトガン」というフレーズの謎に迫るには、その2つの団体の生い立ちまでさかのぼる、長い長い話になってくる。, エアガン、実銃とされる「空気銃」と区別するために言葉を選んで書くと「オモチャの銃」が、銃刀法で規制される銃砲とはみなされずに「オモチャ」として存在を許されている唯一にして最大の理由は、その威力がわざわざ取り締まりの対象にするほどでもないと誰もが納得できる、「とるに足らないほどの弱いもの」でしかないからだ。逆に言えば、エアガンのパワーが「これ、ヤバいんじゃね?」と多くの人が思ってしまうほどに高いものになってしまったら、それは「オモチャ」ではなく取り締まるべき危険な武器となってしまう。, 「オモチャ」と「取り締まるべき危険な武器」の境界線はどこか? 今は法律できっちりと規制値が定められているけれど、昔はそんなものはなく、メーカー団体による自主規制に委ねられていた。その自主規制値は、時代によってさまざまに移り変わってきた。, 大昔は、「オモチャの銃」といったら弾が出ないモデルガンがほとんどだった。そのため、トイガン業界団体もモデルガンを想定した「日本モデルガン製造協同組合」というものしかなかった。設立は1974年のことだ。当時のモデルガンは、強盗だとか恐喝だとか、はてはハイジャックにまで使われたりして、それを受けたほとんどヒステリーに近い極めて厳しい規制の嵐にさらされていた。モデルガン協同組合は、改造防止策や材質の制限などの自主規制によって安全を確保し、より厳しい規制をされないようにすることが目的の団体だった。ただ、モデルガンでは弾は撃てないので、当然のことながら撃った弾の威力についての自主規制値なんてものも、当時はまだ存在しなかった。, 日本国内で、本格的なエアガンの販売が始まったのは1980年代になってからのこと。「リアルな銃の形をしたものから弾が撃てる」というのは、今じゃ考えられないが当時としてはかなり思い切ったことで、モデルガンのような厳しい規制がされる前にきっちりと自主規制策を取っておこうと考えられたのだろう、ほとんど「間髪を入れず」に近いタイミングで「エアーソフトガン協議会」が設立され、1983年からは「この製品は自主規制に則って作られている」ということを証明する「ASGKシール」証紙の発給が開始された。, そして1986年、その2つの団体、つまりモデルガンを扱う「日本モデルガン製造協同組合」と、エアガンを扱う「エアーソフトガン協議会」が合併し、モデルガン・エアガンの両方を指す「遊戯銃」という言葉が考案され、「日本遊戯銃協同組合(ASGK)」が設立した。, ASGKは、「このパワーを超えるエアガンは作ったり売ったりしないようにしましょう」という値を自主規制値として定めていた。その自主規制値は「0.4J」。自分で自分の足とか手のひらとか撃ったりしたら、ちょっと悶絶してしまうくらいの痛みはあるが、怪我をするほどではない。斜め上に向かって撃てば30~50mくらいは飛ぶだろう。ちなみに0.2gのBB弾での初速にすると63m/sが上限になる。現在販売されている製品でいうと、ノーマルの電動ハンドガンよりちょっと弱いかな、といったところだろうか。, だが、この「自主規制値」、当初はともかく、しばらくすると律儀に守っているメーカーはどんどん少なくなってきてしまった。ASGKの理事をつとめたメーカーですら、自主規制を無視した威力の強いエアガンを製造販売しているのが現実だった。さすがに小型で安価なエアコッキングのハンドガンなどは0.4J以下だったが、ガスガンやボルトアクションライフル、そして1990年代になって登場した電動ガンの多くは0.4Jを上回るパワーを箱出しノーマルの状態で発揮していた。, 1994年、ASGKとは別に競技射撃を中心としたスポーツ射撃振興を目的とした協会が設立された。名前を日本エアスポーツガン協会、略称をJASGという。こちらの団体では、最初から自主規制値は0.8Jと定められていた。形だけを見れば、「自主規制値の低さに業を煮やしたメーカーが、より威力の強いエアガンを作るために新たな団体を設立した」というように見えるが、ASGK加盟メーカー自身が自分で定めた自主規制値を守っていなかったという現実もあるわけで、別の見方をすれば「きちんと自主規制値を守る団体が新たに設立された」という考え方もできる。, この「1994年」という年に、こういったことが立て続けに起きたのには理由がある。「PL法(製造物責任法)」が設立したのが、ちょうどこの年なのだ。かつては、「タテマエは0.4Jってことになってるけれど、実際はもっとパワーがあるよ」という状況でもなんとなく許容されていた時代もあったわけだが、PL法はそれを許さない。PL法上での責任主体であるメーカーは、「この製品は0.4J以下である」といって販売した製品がそれ以上のパワーを持っていると、場合によっては厳しい法的な制裁を受ける可能性すらあるとされた(※月刊Gun 1995年12月号・PSG-1の記事より)。1995年頃から、ASGKでも自主規制値の変更が検討されるようになる(※月刊Gun 1995年3月号・ASGK臨時総会記事より)。ASGKによって具体的なことが発表されるより先に、個別の製品レポート記事やメーカーによる広告にその情報が掲載されるようになる。見つけられた範囲でもっとも最初に出てくるのが月刊Gun 1998年11月号に掲載されたウエスタンアームズの「PRO KILLER」の記事だ。「エアーガンの共通規格を管理する組合であるASGKがパワー・レギュレーションを0.4Jから0.8Jに引き上げた」との記述がある。そして、翌月に掲載された同社によるPRO KILLERの広告には、「当製品は競技専用銃です」と書かれていた。, 「競技専用銃」って何? そもそも「競技」って何? ユーザーは疑問に思った。当時の読者投稿欄には、そういった疑問、あるいはちょっと先回りして「ASGKも(JASGが既に始めていたAPSカップみたいに)エアガンを使ったスポーツ競技射撃大会を始めてくれるんだな!」と期待する声にあふれている。だが、ASGK自身によるその疑問への回答は見つけられなかった。「ASGK競技専用エアソフトガン委員会」なんてものも設立され、業界トップメーカーの偉い人がその委員長に就任したりもしていたが(※月刊Gun 1992年12月 ソフトエアガン安全会議設立の記事)、その委員会ってどういう役割でどんなことをしたのかは、ユーザーにとっては今に至るまで、結局なにも分からないままだ。, 2005年ごろからは、月刊誌の巻末に載っている「ASGKからのお知らせ」にこんなことが書かれるようになった。, 組合の正式なカテゴリーである競技専用エアソフトガンは、多くの組合員が参加して順調に製造されています。現在、市場には数多くの種類が競技専用エアソフトガンとして出ていて好評を頂いています。(中略)ご存知のように競技専用エアソフトガンはサバイバルゲームやシューテイングの実情に対応したもので、一般用の競技銃より高い威力を持っています。もちろん、18歳以上の方々のためのものです。, 「実情に対応したもの」……この記述を見てもわかるとおり、ASGKの「競技専用エアソフトガン」というのは、結局のところ自主規制の上限アップ、それも現状追認の口実に使われただけのお題目でしかなかったということだろう。事実、ASGK自身で「エアガンを使った競技」を提案したり主催したりはしてくれなかったことが、なによりもの証拠だ。, エアガンの箱に「競技用」とか、「競技用エアーガン」といった文字が、印刷されていたり後からシールで貼り付けてあったりするのは、ほとんど無視されていた自主規制値を現状に合わせて引き上げた、その名残りである。, 実際のところ、「0.8J」という自主規制値は、当時流通していたエアガンのパワーを見渡してみても現実的な数値だったと言える。それを購入したユーザーが自分で何らかの手を加えてさらに威力を上げる例は少なくなかったが、何も手を加えられていない市販そのままの状態でのパワーという点で言えば、「0.8J」という自主規制はおおむね守られていたといっていい。もちろん例外はあったが。, 2006年、銃刀法が改正され、オモチャとして販売したり所持したりしてよい上限の威力というものが法律によって定められた。その威力よりも低ければ大手をふって「オモチャ」として販売して良いというお墨付きが付いたようなものだ。今でもASGKの自主規制値はあくまで0.4Jであり(0.5Jと書かれている資料もある)、0.8Jなのは「競技専用エアソフトガン」だけの特例であるというタテマエは変わらないようだが、現実としてほぼ全ての18歳以上用エアガンが「競技専用」になっているようなもので、わざわざ区分する意味も理由も既に存在しないといっていい。今ではエアガンの箱に印刷された文字として名残りを留めるのみとなっている。, たとえばGoogleなどで「競技用エアガン」と入力して検索すると、APSカップ用などの精密射撃用エアガンが数多くヒットする。JASG(ASGKから分かれて作られた新しいメーカー団体の方)は設立当初よりそういったスポーツ射撃競技に力を入れており、特にAPSカップは基本的に同じルールのまま何十年も続けられている歴史ある競技になっている。, 実際に撃って競い楽しむための場を提供し続けてくれているという点では、ASGKに比べてJASGがより「優れている」点だと言って構わないだろう。もちろんASGKもユーザー向けのイベント等をこれまで開催したことは何度もあるのだけれど、こと「継続」という点ではJASGの足元にも及ばないのが現実だ。, JASGは、APSカップに使う競技用のエアガンとして開発された製品のいくつかを、公式認定競技銃として認定している。「競技用エアガン」という言葉が、その公式認定銃を指す言葉として使われている例がけっこう多いようだ。だが、公式とはいえ「オモチャの銃」であるという点は他のエアガンと全く変わらないので、他の玩具銃よりも威力が強くてもいい、なんていう除外規定はない。, 玩具ではなく法的にもれっきとした「銃」と見なされる競技用の銃もある。一般的には「エアガン」ではなく「空気銃」、あるいは「エアピストル」「エアライフル」と別の言葉で呼ばれることが多いが、空気を使って弾を撃つのは確かなので「エアガン」と呼んでしまっても別に間違いではない。, プラスチックの弾ではなく鉛の弾を撃つもので、威力も精度も、そしてほとんどの場合は値段も「オモチャの銃」よりもずっと高いものになる。そしてこれが重要な点だが、購入にも所持にも使用にも特別な許可が必要になる。れっきとした「実銃」なのだ。, 実銃なので、模型店やホビーショップでは販売していない。「銃砲店」で購入することになる。ただし、稀な存在ではあものの実銃を販売する銃砲店と「オモチャの銃」を扱うホビーショップを兼ねているところも、いくつかあるようだ。日本は広いね。, 京都にある「國友銃砲火薬店」は、日本の競技射撃スポーツの世界では超がつく有名店。基本的にはエアライフルや小口径ライフルなど、つまりは「実銃」に属する競技銃を扱う店だが、お店の4階にあるスペースを使って玩具銃での競技射撃スポーツの練習会や公式大会なども開催されている。. 2000年代前半、JAFTA(日本フィールドターゲット射撃協会)等が中心となり、主として50m射場で狩猟用エアライフルを用いた標的射撃が注目されたが、射場におけるマナー問題、射場に関連した法令の問題等で、現在は沈滞化している。, 射場の法令問題とは、10mを超える射距離の空気銃射場は、その全長を構造物で覆わなければならない(覆道式)と内閣府令で規定されていることにある。従来より小口径ライフル(英語版)(22口径)用50m射場で空気銃の使用が可能な場所は多かったが、その大部分は上記の内閣府令に抵触することが判明し、特に公営射場では次々と空気銃の使用が不可となった。一部に覆道式で空気銃の使用が可能な50m射場も存在するものの、多くの地域では事実上10m射場しか利用できないのが現状である。現代の狩猟用空気銃の威力や平均的な射距離を考えれば、10mの射距離というのはあまり現実的なものではない上、そもそも多くの10m射場はその設備を含めて競技用空気銃の使用を前提にしているため、標的交換機等の射場設備破損の恐れから狩猟用空気銃の使用を禁じたり制限しているところも少なくない。, 空気銃は銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)により一般の所持を禁じられており、所持には各都道府県公安委員会の許可が必要である。許可には18歳以上で重大な犯罪の前科や薬物中毒がないこと、反社会的な団体や暴力団などの関係者でないことなどが求められ、許可の審査にあたっては、本人の犯歴等のチェックはもとより、同居親族についても調査の対象となる。また必要に応じ身辺のトラブルや職場、近隣の評判まで調査の及ぶ場合がある。なお例外として、日本ライフル射撃協会の推薦を得れば、14歳から所持許可申請が可能である。, 日本での銃の所持には明確な使用目的(標的射撃・狩猟)が求められ、例えばコレクションのような曖昧な目的では許可されない。許可を受けた後も毎年の銃砲検査と更新時に使用状況のチェックを受ける。正当な理由なく許可された目的に使用されていないとみなされた場合、「眠り銃」として許可返納を求められることもある。, 通常の猟銃(散弾銃)の場合の手続きと違うのは、教習射撃が不要であること。それ以外は手続きの内容は同じである。, なお、日本における銃所持はいわゆる免許制ではなく、一丁の銃と特定の個人の組み合わせにおいて許可される「一銃一許可」制である。したがって、許可を受けた個人が所持することができるのは、その許可を受けた銃のみであり、新たな銃を所持しようとする場合、改めて所持許可申請が必要となる。このような許可制度のため、日本では銃の貸し借りは不可能であり、例えば射撃場で他人の銃を試し撃ちどころか、正当な理由なく他人の銃を手に取っただけでも不法所持が成立する。また許可を受けた銃は、毎年一定の時期に銃砲検査が実施され、そこで検査を受ける必要がある。許可の更新は3年ごとであり、銃ごとに更新しなければならない。更新時には猟銃等講習会(経験者講習)を受講し、その修了証が必要となる。, 日本における銃規制は、1872年(明治5年)に今日の銃砲刀剣類所持等取締法の前身法である銃砲取締規則(明治5年太政官布告第28号)、狩猟法制は1873年(明治6年)に今日の鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律の前身である鳥獣猟規則(明治6年太政官布告第25号)がそれぞれ制定された事により始まったが[19]、1894年(明治27年)より米国より輸入が始められた[20]空気銃については、当初は前述のどちらの法にも具体的な記述が無い状況であった。, 当時輸入された空気銃は、丸弾(BB弾)を用いる中折式又はレバーアクション式のスプリング方式エアライフル[20]で、威力・飛距離共にまだ十分なものではなかったが、老若男女の別なく無許可で購入でき、無鑑札で狩猟にも利用可能であった空気銃は明治時代に市井に大いに普及した。村田式を始めとする猟銃(散弾銃)の国産化は明治の中頃には既に始まっており、明治の後期には拳銃・仕込み銃・杖銃(英語版)などといった護身銃器の国産化も達成していたが、拳銃・仕込み銃・杖銃については空気銃同様に銃規制・狩猟法制の双方に具体的な記述がなかった為、明治時代末まで購入・所持が自由に行える状況であった[20]。, しかし、大正時代に入ると銃砲火薬類取締法(明治43年4月13日法律第53号)及び銃砲火薬類取締法施行規則(明治44年3月11日勅令第16号)の改正により、1912年(大正元年)に拳銃などの護身銃の購入や所持が許可制となった[20]。規制強化による護身銃の需要減により、多くの国内銃工が空気銃の製造に転進し、欧米から輸入されるスプリング方式エアライフルを模倣する形で国産化を行うようになった。川口屋林銃砲火薬店(KFC)などの輸入商達もこれに対抗してドイツ帝国やイギリス帝国から、つづみ弾を用いる高威力のエアライフルを輸入するようになったが、国産空気銃もほどなく輸入品と同等以上の技術水準に到達した[20]。大正中期に空気銃の国産数量は年産13万挺にも達するようになった為、政府当局は狩猟法(明治28年3月27日法律第20号)および狩猟法施行規則(明治34年6月26日農商務省令第7号)の改正で高威力化が進む空気銃に法規制を掛ける事となった[20]。, なお、空気銃について法律上の規制対象として初めて言及されたのは、1918年(大正7年)に施行された鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律(大正7年4月4日法律第32号)であり、狩猟法施行規則(大正8年農商務省令第28号) において、従来の火薬式の猟銃と共に「散弾を使用できうる空気銃」、すなわち空気散弾銃が法定猟具に追加指定されていたが、この時は単弾(実弾)のみ発射可能なエアライフルはまだ猟具とは見なされていなかった。, 1925年(大正14年)、狩猟法施行規則の改正によりエアライフルのうち、単一の鋼材をライフリング・ブローチ(ライフル・カッター)を用いて刳り抜く事で製造されるくり抜き銃身を持つものが猟具として追加指定された[21]。しかし、当時の時点でエアライフルの銃身の製法はライフリング・ブローチを用いる従来の切削製法[22]から、プレス機械でボタンと呼ばれる極めて硬度の高い材質で造られた治具を金属管から引き抜く事でライフリングを圧搾形成する[23]製法の引き抜き銃身へと移行しており、製造品質も程なくくり抜き銃身と遜色ないものとなってしまった。KFCなどの空気銃を取り扱う銃器商は、くり抜き銃身を持つエアライフルを引き抜き銃身へと交換したり、金属パイプの内側にライフリングを刻んだ鉄板を貼り合わせる等の特殊な製法で製造した銃身を持つ国産空気銃をラインナップするといった手法で大正14年改正を回避する対策を取っており[6]、改正の実効性は乏しいものであった。これに伴い、1930年(昭和5年)には「引き抜き銃身」も法定猟具に追加指定し、第二次世界大戦終結後の1947年(昭和22年)にはコルクのみを発射する射的銃を除く、全ての空気銃が法定猟具に指定された。, 大正から戦後間もなくの時期に掛けて、空気銃は狩猟で用いるには狩猟免許が必要という状況になったが、この時点でもなお購入と所持については銃砲火薬類取締法や、銃砲等所持禁止令(昭和21年6月3日勅令第300号)、銃砲刀剣類等所持取締令(昭和25年11月15日政令第334号)などの取り締まり対象とはなっておらず、1950年(昭和25年)の鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律の改正により、空気銃が狩猟免許の対象から一旦外れて狩猟登録制へ移行するという規制緩和が行われた事により、再び大きな普及の波が湧き起こっていた[21]。, 戦後の食糧難から空気銃による狩猟登録者は年々爆発的に増加したが、それに伴い人身傷害事故、発射制限違反や無登録者による密猟といった狩猟法違反も多発する事となった。そして何よりも、1952年(昭和27年)の国内メーカーの銃器製造の再開以降、シャープ・ライフルのポンプ方式エアライフルといった、威力が非常に強力な空気銃が出現してきた事などにより、1955年(昭和30年)に銃砲刀剣類等所持取締令の改正にて空気銃は装薬銃同様に、購入と所持に当局の許可が必要とされるようになった[21]。銃砲刀剣類等所持取締令による空気銃の規制は1958年(昭和33年)施行の現行銃刀法にも引き継がれ、鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律も現行銃刀法の施行と同年に空気銃を狩猟登録制から装薬銃と同じ狩猟免許制(丙種)に再度規制強化を図り、1963年(昭和38年)施行の現行鳥獣保護法に引き継がれる形で現在に至っている[19]。, 昭和33年の銃刀法・鳥獣保護法双方の規制強化によって、KFCや阪場銃砲製作所などといった装薬銃メーカーが片手間にラインナップしていた安価な中折スプリング式のエアライフルはその殆どが姿を消し、シャープ・ライフルなどの空気銃専業メーカーが手掛けるポンプ式や、豊和工業などが手掛けたCO2ガス方式などが主流となっていった。また、スプリング式空気銃を手掛けたメーカーの幾つかはコルクや樹脂製つづみ弾を用いる遊戯銃へと転業していった[24]。, ガンロッカーとは銃を自宅等で、自ら保管する際に必要な保管場所として、設置を義務付けられている金属製のロッカーである。その適合基準は内閣府令によって定められている。空気銃もその例外ではない。二次犯罪防止の観点から、それらの銃の発射に関係する部品等を他所に分解保管する等、銃砲所持者には厳重な保管及び管理責任がある。, 空気銃が歴史上に登場したのは、15世紀のヨーロッパである。現存する最古の空気銃は1580年に製造されたもので、ストックホルムのスウェーデン王室武器庫(英語版)に所蔵されている[25]。空気銃の最も初期の形態は鞴(ベローズ)を用いて吹き矢を機械的に発射できるようにしたもので、この時点で既に今日の空気銃と同じ構造の多くが考案されており[26]、こうした鞴を用いた空気銃(機械的な吹き矢)は、実用性よりも貴族趣味的な空気銃として非常に精緻な装飾が施されたものが19世紀の中頃まで製造されたという[27]。, 空気銃は圧縮空気を使用して弾丸を発射するわけだが、圧縮空気を溜めるシリンダーは高圧に耐えなければならないし、そのバルブには、耐圧性もさることながら精密機械加工技術が必要であった。このため、初期の段階ではあまり高圧の圧搾空気を用いる事ができず、威力は無いに等しいものであったため、火気が使用できない屋内での射撃練習用の銃として使用されていた。しかし年々加工技術が発達してくると、次第に威力も高い物となり、狩猟などといった実用に供する物になってきた。また、初期の銃である火縄銃とは違って、悪天候下でも弾丸の発射できる空気銃は、非常に高く評価された。その反面、圧縮空気を溜めるため、数十回はポンプで空気を送り込んで圧縮する「ポンピング」という作業を行う必要があり、到底実用的とは云い難かったようである。, ポンプ式の空気銃が軍事用途として大規模に実戦配備された最初の例は、1778年に神聖ローマ帝国のチロル人発明家、バルトロメス・ジランドーニにより発明され、1780年にオーストリア帝国にて制式採用されたジランドーニ空気銃である。ジランドーニ空気銃はポンプ式で、約1500回のポンピングで約30発を発射可能というもので、18世紀当時の黒色火薬を用いるマッチロック式やフリントロック式のマスケット銃と比較して、弾丸の破壊力では劣るものの、天候に左右されず射撃が可能で、発射時の銃口からの煙火で射手の位置を暴露したり射手の視界を遮ることがないという利点が存在した。ジランドーニ空気銃は最大の空気圧で発射した場合1インチ厚の木板を貫通する威力があり、今日の9x19mmパラベラム弾や.45ACP弾に匹敵するものであった。熟練した射手であれば素早い再ポンピングで最大の威力を保持しながらマスケット銃と同等以上の速度で連射が可能であり、発射音が小さいことから空気銃専門の狙撃兵部隊が編成されたほどであった。ジランドーニ空気銃はオーストリア帝国から、神聖ローマ帝国を初めとするドイツ領邦、そしてフランス王国へと伝播していき、ドイツ諸侯領では風小銃(ドイツ語版)と呼ばれた。ジランドーニ空気銃は年々改良が重ねられていき、最終的には20発前後の管状弾倉を備え、射手はクリーニングの為の工具と同時に2個の着脱式エアタンクを携行することで、繰り返し最大威力での発射が可能な運用がされるようになっていった。ジランドーニ空気銃は銃器の歴史(英語版)上では最初期の反復式小銃であると同時に、弾倉による連続発射を実現した最初期の事例であるとされており、ルイス・クラーク探検隊でも用いられた記録が残っている。, ジランドーニ空気銃は1815年に退役したが、その後も欧州の貴族社会では二連ライフル(英語版)式のものや、散弾銃、仕込み杖、果ては極端に巨大又は小型の空気銃などといった所有者の趣味性を表した豪奢な空気銃や、空気銃工(英語版)の技術の限界に挑む事だけを目的としたような様々な形態の空気銃が製作された[27]。一方、日本で初めての空気銃は国友の鉄砲鍛冶である国友一貫斎により1819年に製作された。その元になったのは、オランダから幕府に献上された玩具としての風砲(当時は気砲と訳された)であり、一貫斎はそれを解体し、各部品を詳細に研究した末、元になったものよりも射程に優れ、操作も簡単な空気銃を作り出すことに成功した。また、一貫斎はポンプで空気を送り出した回数により、銃の重さが変化することに気づき、空気に重さがあることを発見した[28]。ただし、発砲時にも銃声がほとんどしない気砲は暗殺に使用される懸念があるとされ、幕府の鉄砲方が危険視して国友たちに禁止令を出した。そのため、日本では空気銃は衰退し、現在、国内に残っている当時の空気銃は20丁ほどである。, 実用的な空気銃を大規模に生産し、初めて商業的に成功させたのはアメリカ合衆国のウィリアム・F・マーカム社で、1886年に最初のモデルであるマーカム・チャレンジャーの販売を開始した。マーカム・チャレンジャーとその後継モデルであるマーカム・シカゴは、中折スプリング式で銃の大部分が木製であった[29]。同時期に米国内ではプリマス・アイアン・ウィンドミル・カンパニー社が1888年に金属部品を多用した中折スプリング式のデイジー・トップレバー・ガンを発売し、瞬く間にマーカムをしのぐ人気を獲得[30]、プリマス社は1890年にはデイジー・マニファクチャリング・カンパニー(現・デイジー・アウトドア・プロダクツ(英語版))に社名を変更した。マーカムはデイジーの台頭を受け、1890年に金属部品を多用した中折式の新モデルであるマーカム・キングの発売を開始、両社は今日も米国に残る滑空銃身のBB銃(英語版)のカテゴリーの事実上の始祖となった[31]。1928年にはマーカム社はキング・エアライフル・カンパニーに社名を変更し、世界恐慌直後の1931年にデイジー社に吸収合併される形で姿を消したが、マーカム・キングの流れを汲む後継モデルはその後も1940年までデイジー社で製造が続けられた。第二次世界大戦の勃発はデイジー社の空気銃製造にも深刻な影響を及ぼし、1945年の日本の敗戦に伴う第二次世界大戦終結までは、空気銃の材質を旧マーカム社の初期のモデルに類似した木製とした戦時設計モデルの製造で妥協せざるを得ない苦境をもたらした[32]。デイジー社は戦間期に従来からのトップレバーによる中折式に加えて、スプリングのコッキングをポンプアクションとしたデイジー・M25(英語版)を発売、戦中にはレバーアクション(英語版)のデイジー・レッド・ライダー(英語版)もラインナップに加え、2017年現在も米国のBB銃の代表的なメーカーとして存続している。, アメリカではデイジー、マーカム(キング)の2社以外では、ヘンリー・クァッケンブッシュ(英語版)が1870年代後半から1930年代に掛けて製造したクァッケンブッシュ・ライフル(英語版)が著名であった。クァッケンブッシュ・ライフルは装弾にBB弾ではなくペレット弾を用いた最初期のエアライフルで、後装ブリーチ式で単発ながらも安価な価格だった為、米国内で大いに普及した。ヘンリー・クァッケンブッシュは自身が開発したエアライフルばかりでなく、同業他社や零細の空気銃工が開発したエアライフルも優れたものであれば製造権を買い取って自社の製品として流通させる柔軟さも有しており、そうした製品の中で比較的著名なものとなったのが、クァッケンブッシュのイギリスやドイツの子会社で製造され、戦前の日本を含む世界各地に輸出されたジェム・ライフルであった[33][34]。ジェム・ライフルは中折式で八角形のライフリング銃身を有し、戦前の日本では「英国製(または独逸製)ゲーム式空気銃」の名で輸入されていた。クァッケンブッシュのエアライフルは1933年のヘンリーの死去と共に次第に衰退し、1940年代後半には市場から姿を消していったが[35]、今日まで続く4.5mmから6.35mmまでのペレット弾の規格がデファクトスタンダードとなっていく過程で、大変重要な役割を果たしたとされている[36]。, イギリスでは1890年代にバーミンガムにて空気銃による室内射撃競技が始まった。初めはパブで酔客の余興という形で始まり、勝者には商品として羊肉が振舞われる空気銃射撃は瞬く間に全英中に人気のスポーツとして広まっていき、1899年には全英小口径ライフル協会(英語版)が設立されるに至る。多くの空気銃射撃クラブはバーミンガムに本拠を置き、最盛期には4000以上のクラブが存在した。しかし、イギリスは狩猟が盛んな国でもあり、当時所持や使用に特別な届出や許可を必要としなかった空気銃は、密猟と密接に関連していたこともイギリスの19世紀末における爆発的な普及の一因でもあった。バーミンガム・スモール・アームズは1906年にBSA・リンカーン・ジェフリーズで空気銃に参入[37]、回転式拳銃で著名なウェブリー・アンド・スコット(英語版)も1924年に空気銃に参入、1929年のウェブリー・MkII・サービス・エアライフルはイギリス陸軍の新兵訓練用の器材として採用された[38]。, 第二次世界大戦のアメリカ軍では、新兵を訓練する用途で空気銃を用いた。米国人技師のポール・V・マクグラシャンは、1940年に機関銃手の対空射撃訓練用機材としてマクグラシャン・エアマシンガン(英語版)を米軍に数多く納入した。マクグラシャンの空気機関銃は高圧の外付け圧縮空気タンクより高圧空気の供給を受け、電気式のソレノイドで高速度で空気弁を開閉させることで航空機関砲に近い連射速度で鉛・ベークライト複合材製BB弾を連続発射できるもの[39]で、アメリカ陸軍航空隊とアメリカ海軍の航空機に配属される旋回機銃手は何千挺も納入されたマクグラシャンの空気機関銃を用いて、自機に襲い来る戦闘機に対する迎撃射撃の技術を磨いた。空気機関銃は迎撃を受けた標的機を致命的に破壊してしまう危険性が低いため、標的機のパイロットも臆することなく実戦的な機動で訓練機を追い回す事ができる様になり、訓練機のエアガンナー(英語版)たちの射撃技術の向上に貢献した。米陸軍航空隊はこの空気機関銃を用いた射撃訓練の為だけに、フェアチャイルド AT-21 ガンナー(英語版)という特別な訓練機と、RP-63 ピンボールという特別な標的機まで製作した[40]。また、アメリカ陸軍はベトナム戦争の際にも近接戦闘における急射(英語版)訓練(クイック・キル)の器材としてデイジー社のモデル99レバーアクション空気銃を選定、デイジー社は米陸軍内での訓練内容を元に、一般市民も急射訓練を行えるようにした特別なセットモデルを「デイジー・クイックスキル[41]・シューティングキット」の名称で販売した。急射訓練に空気銃を用いるアイデアは、民間人射撃インストラクターであるラッキー・マクダニエル(英語版)により1950年代中頃に考案されており、マクダニエルの助言を元に1960年に1年だけ発売されたデイジー製訓練セットではコルク製のBB弾が同梱されていた[42]。なお、今日の日本の陸上自衛隊ではこうした訓練用途では、東京マルイにより自衛隊制式銃器に精巧に似せて製造されたエアソフトガンが用いられている。, 日本では狩猟用の空気銃は明治時代からあったが、実用的な狩猟用空気銃が一般に広く販売され始めたのは戦後である。猟銃(散弾銃やライフル銃など)と比較して、空気銃は所持許可申請の手続きが簡便なので、猟銃の所持許可が厳格な地域では空気銃の所持が多い。, 2016年現在の日本国内の狩猟用空気銃は全てライフル銃であるが、海外では空気式散弾銃(空気散弾銃)も存在している。日本でも戦前から1930年代中ごろまでにかけては米国のデイジー社(デジ、デジーなどと表記された)などの空気散弾銃や米国キング社、ドイツ製のジェム・エアライフルなどの空気銃が輸入され、少年世界や少年倶楽部などの少年雑誌への広告を通じて青少年に広く販売されていた。当時はエアライフルを単発銃、空気散弾銃を連発銃と称しており、微細な鉛散弾(英語版)を最大1000発まで装填可能なものは千連發などと称して販売されていた。戦後の日本でも1960年代初頭までは少年 (雑誌)などの雑誌広告にて、西ドイツのダイアナ(英語版)や、イギリスのバーミンガム・スモール・アームズ(BSA、現:ガモ(英語版))などの空気銃が販売されていた。こうした空気銃や空気散弾銃は1958年(昭和33年)の銃刀法の施行までは玩具としての扱いであり、後の1963年(昭和38年)の(新)狩猟法の改正までは狩猟免状(銃猟免許)を得ること無く狩猟で用いる事が可能な法定外猟具(2016年現在におけるスリングショットの扱いに近い)であった。昭和38年の銃刀法改正後は金属弾を発射可能な空気銃は狩猟用途以外の事由で所持する事は禁止となり、これ以降日本における遊戯銃は樹脂弾を用いるエアソフトガンや火薬式モデルガンへと移行していった。, 単発のエアライフルは、2016年現在でも空気銃のみを対象とした第二種銃猟免許か、装薬銃の許可に空気銃が内包された形となっている第一種銃猟免許の取得により、銃刀法施行前に販売されたスプリング式などの旧型空気銃も猟具として継続使用する事が可能となっているが、空気散弾銃は単発の空気式ライフルに比べて威力が低く、狩猟鳥獣をいたずらに負傷させるのみに終わる(半矢)可能性が高いとして、1970年(昭和45年)より禁止猟具に指定された。海外ではデイジー社のスプリング式や、エア・ベンチュリ(Air Venturi)社などのプリチャージ式空気散弾銃がBB銃のカテゴリーで狩猟・遊戯向けとして販売されているが、日本国内では1968年から1973年に掛けて統一教会傘下の商社である幸世商事による鋭和B3空気散弾銃及び、プリチャージ式でセミオートマチック発射が可能な鋭和3Bエアライフルの大量輸入を巡る、日本の公安当局との軋轢(世界基督教統一神霊協会の年表にその経緯が詳しい)を経て禁止猟具への指定が行われた背景もあり、空気散弾銃は2016年現在でも2000年代中ごろに指定された準空気銃共々販売や所持も禁止されている。一方、プリチャージ式セミオート機構のエアライフルは、鋭和3Bが当時のスプリング式などの空気銃と比較して威力が高い事が国会で問題にこそなったものの輸入禁止にまでは至らなかった事もあり、スウェーデンのFXエアガン(FX Airguns)社などの製品が現在でも法定猟具として所持が可能となっている[43]。, また、日本国内ではかつては兵林館を始めとする中小の銃砲店が製造するポンプ式やスプリング式の空気銃が販売されており、1970年代には軍用ライフルの製造で著名な豊和工業が炭酸ガス方式の豊和M55Gで参入したが、2010年代までに山梨県韮崎市に本拠を置くシャープ・チバ社を除いて殆どの国内メーカーが倒産又は事業撤退した。1952年創業のシャープ・チバはレバー式プリチャージのシャープ・エースハンターなどで著名であったが[44]、2014年に事業停止となり翌2015年に正式に廃業[45]。2017年現在日本ではエアソフトガンやモデルガンの製造メーカーの隆盛の一方で、狩猟用空気銃の製造を手掛ける国内メーカーは2003年創業のカスタム・テクニクス(CTC)1社のみとなっている。, なお、欧米では空気銃はBB弾やペレット弾だけではなく、尾羽の付いたダーツ弾や銃口にコルクやゴム栓を付けて発射する用途でも用いられており、日本ではこれらの用途に相当する射的専用遊戯銃(縁日の的屋が用いるコルク銃)のメーカーは、2017年現在も極少数のみ活動を継続している[46]。, 「特願昭51-010794」「特開昭52-095900」ジヨセフ・フランソワ・ルイス・ジヨン・ピツチヤ-ド、"空気銃弾"、1976年2月3日出願、1977年8月11日公開。, 一例として、日本のシャープ・ライフルは当初は自社生産のペレットを推奨弾として供給していたが、2001年のシャープ・チバへの組織再編後はペレットの自製から撤退し、, The invention of rifling: Part 3 | Air gun blog, New High Impact .177 and .22 Pellets from Gamo, Why don't they design pellets to go supersonic?