1640年 ② 革命 (クロムウェルが中心) 国王が処刑されて③ がしかれる。 政権を握ったのはクロムウェル ←独裁政治で不満を持たれる クロムウェル死後、王政復活 1688年 ④ 革命がおこる *議会が無血で … 家庭教師をしながら覚えやすかったりにくかったりする 『年語呂年註』日本史目次ページはこちらです。 *YouTubeに音声教材をあげています。こちらです。

チャールズ1世の絶対王政を倒し、クロムウェルによって共和政が樹立されたイングランドにおける革命のことです。, 名誉革命と合わせて「イギリス革命」と言われることもあり、イギリス史だけでなく政治史としてもとても大きな出来事です。, このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。, ぜひブックマーク&フォローしてこれからもご覧ください。→Twitterのフォローはこちら, 清教徒革命(ピューリタン革命/Puritan Revolution)とは、チャールズ1世の絶対王政を倒し、クロムウェルによって共和政が樹立されたイングランドにおける革命のことです。, 清教徒(ピューリタン)とは、イングランド国教会の改革を唱えたプロテスタントのことです。, そもそも、プロテスタントとはローマカトリック教会の改革を唱え宗教改革を主導したキリスト教徒の勢力のことです。, プロテスタントはローマカトリック教会に対して下記のような主張をしている点に特徴があります。, 宗教改革はイングランドにも影響を及ぼし、イングランドではイングランド国教会がカトリック教会から独立する形で独自の体制を築きました。, しかし、もともとイングランド国教会はカトリック教会を改革し、『聖書』の教義に忠実であろうとする勢力ですので、イングランド国教会の体制も改善しようとする派閥も生まれます。, こうしたイングランド国教会の改革を唱えた者たちのことを、清教徒(ピューリタン)と言います。彼らは、イングランド国教会を重視する国王から弾圧されたことから、それに反発し清教徒革命の担い手となっていったのです。, 清教徒革命の後には名誉革命が起こり、この2つの革命を合わせてイギリス革命と言うこともあります。, 詳しくは2章で説明しますので、まずは清教徒革命(ピューリタン革命)の特徴を頭に入れておいてください。, 歴史を理解する上では、まずは全体像を知ることが大事です。そこでこれから、清教徒革命(ピューリタン革命)の歴史について、要点に絞って解説していきます。, ジェームズ1世(Charles James Stuart/1566-1625年)は、1603年から1625年までイングランド王として在位したステュアート朝の君主です。, もともとスコットランド王であったジェームズ6世は、エリザベス女王の死去によってジェームズ1世としてイングランド王にも同時に即位しました。, 議会は別でありながら、イングランドとスコットランドの両国の君主となったことから、二国の状態を「同君連合」と言います。, ジェームズ1世は、イングランド、スコットランド、アイルランドの3つの王国を政治的に統一し、言語や法律、議会、教会もすべて一つにしたい、という大きなビジョンを持っていました。, 当時のブリテン諸島(現在のイギリス)は、民族、文化、宗教などが入り乱れた状態で、まったく独立している国家同士でも、統一された国家でもない状態でした。そのため、ジェームズ1世はブリテンを政治的に統一しようと考えたのです。, 3国統一のために、ジェームズ1世はアイルランド北部に、イングランド、スコットランドのプロテスタントを入植させました。, しかし、これはアイルランド北部に住んでいた人々から土地を取り上げる行為であったため、強い反発を受けることになりました。, こうした国内外での反発は、ジェームズ1世の死去後に即位した、息子のチャールズ1世(Charles I)によってさらに強められることになりました。, チャールズ1世も、王権神授説を信奉し、議会を軽視して以下のような政策を行いました。, スコットランドは、宗教改革でカルヴァン派の長老派の教会が体制となっていましたが、チャールズ1世はここにイングランド国教会のやり方を押し付けました。, アイルランドでは、チャールズ1世の側近ウェントワース(Thomas Wentworth)が専制的な政治を行いました。議会はウェントワースの政治に強く反発し、ウェントワースはそれをきっかけに処刑されました。, アイルランドでは、入植政策で土地を奪われた人々が強い怒りを持っていたことから、カトリックへの信仰を強める「カトリック同盟」が結成され、その後アイルランドは自立への道を歩みます。, このようにして、英国王への不満、怒りが国内外で蓄積され、ピューリタン革命(清教徒革命)の準備が整っていったのです。, 清教徒革命(ピューリタン革命)の直接のきっかけになったのは、スコットランドへの遠征費を国王が議会で承認を求めたことでした。, スコットランドへの英国教会的な信条、儀礼、制度の押し付けによって、エディンバラで暴動が起きたため、チャールズ1世は11年ぶりに議会を招集し、遠征費の支出を議会に要望しました。, しかし、議会、特に庶民院はチャールズ1世の専制政治によって不満を持っていたため、このような要求に応じるはずがありません。, 停戦には5万ポンドの賠償金が必要だったため、チャールズ1世は再び議会を開いて賠償金の支出を求めました。, といった国王の権限を削ぐ法が制定されていきましたが、これに反発したチャールズ1世は庶民院の改革派の議員を逮捕しようとしました。, ここに、イングランド国内は「国王派」と「議会派」に分裂し、内戦状態になってしまいます。, こうしたきっかけで起こった革命を、議会側の指導者には清教徒(ピューリタン)が多かったことから、「清教徒革命(ピューリタン革命)」と言われます。, というように国王軍と議会軍、議会側はさらに妥協派(長老派)と抗戦派(独立派)に分かれて勢力争いしました。, 独立派からは、庶民院の議員のオリヴァー・クロムウェル(Oliver Cromwell)が鉄騎隊を編成し、国王軍に勝利。その後チャールズ1世の手引きによるスコットランド軍の侵攻にも勝利しました。, 議会では、チャールズ1世の責任追及に穏健な長老派と、責任追及を望む独立派が対立しましたが、独立派は議会で長老派を逮捕(プライドのパージ)します。, そして、チャールズ1世はウェストミンスター・ホールでの裁判で死刑判決を受け、処刑されました。この時、議会には独立派の議員のみしか所属していなかったため、「残部議会」と言います。, チャールズ1世の処刑により、残部議会はこれまでの統治体制を廃止し、新たな「共和政」を成立させました。, イングランドは国王による支配から共和政に転換したため、これが革命と言われたのです。, これは、イングランドで国王が倒されたことから、アイルランドとスコットランドが国王チャールズの長男を「チャールズ2世」として国王として認めようとしたため、その動きをクロムウェルが抑えようとしたためです。, アイルランドは植民地化され、スコットランドはイングランドとの戦争に負け、イングランドに合併されました。, スコットランド合併の後、クロムウェルは「護国卿」になり、国王のような権力を持って国内を統治しました。, このような権力を握ることができたのは、もちろん革命以降のさまざまな実績にもよりましたが、国内の政治的混乱を収めたからでもありました。, クロムウェルがスコットランドに勝利した後、イングランドに帰ると、国内の政治は混乱していました。, そこでクロムウェルは残部議会を軍事力で解散させ、「指名議会」という新たな議会を作り、指名議会と国務会議が国内を統治することにしました。, 指名議会は軍事評議会の推薦によるものでしたから、クロムウェルはより大きな影響力を持つことができました。, さらに、クロムウェルは「統治章典」というイングランド初の成典憲法を作り、自らを三国の行政・治安のトップであると憲法で規定しました。, この立場を「護国卿」と言い、クロムウェルが護国卿という立場から行った政治を護国卿体制と言います。, 護国卿体制では、初期は定例で議会を行い、200ポンド以上の資産を持つ男子に選挙権が付与されるなどの民主主義的政策が行われましたが、徐々に独裁的になっていきました。, しかし、クロムウェルはこうした強い権力を持ったまま他界し、護国卿体制は突然終わりを遂げました。, ここまででいったん、清教徒革命(ピューリタン革命)を終えますが、これと連続して起こった出来事から名誉革命が繋がっていきます。, 清教徒革命(ピューリタン革命)は、イギリス史を理解する上でも、政治史を理解する上でもとても重要な出来事ですが、この記事では大まかな流れしか紹介できていません。, オススメ度★★★ミカエル・ライリー,ジェイミー・バイロン,クリストファー・カルピン (著)『イギリスの歴史【帝国の衝撃】―イギリス中学校歴史教科書―』(明石書店), 近代のイギリスの歴史が詳しく書かれた、イギリスの中学校の教科書を翻訳したものです。非常に面白いのでぜひ通読することをおすすめします。, イギリスの歴史を講義調で解説しているものです。清教徒革命について書かれているのは「下」ですが、その前の歴史から知っておかなければイギリスの王朝の役割や王権が制限されていくプロセスが理解しづらいです。上下合わせて読むことをおすすめします。, 清教徒革命の一部のみを理解したいなら、薄くて読みやすいこちらのブックレットをおすすめします。イギリス史をある程度知っている方におすすめです。, Amazonプライムは1ヶ月無料で利用することができますので、非常に有益です。学生なら6ヶ月無料です。, などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、気になる方はお試しください。, このサイトでは他にも世界史上・政治史上の重要な出来事を解説していますので、ぜひブックマークしてください。, リベラルアーツガイドは、質の高いコンテンツを作成し続けるためにご支援をお願いしています。詳しくは下記ページをご覧ください。, 当メディアは純広告(メディア内に設置する広告)を募集しています。詳しくは以下のページをご覧ください。, イングランド国教会を重視する国王から弾圧されたことから、それに反発し清教徒革命の担い手となっていった, これはアイルランド北部に住んでいた人々から土地を取り上げる行為であったため、強い反発を受けることになりました。, イギリスの歴史【帝国の衝撃】―イギリス中学校歴史教科書― (世界の教科書シリーズ34), チャールズ1世の専制政治、非イングランド国教会の教徒の弾圧、スコットランド、アイルランドへの弾圧, イングランド王、スコットランド王であったジェームス1世の統治に、国内の清教徒(ピューリタン)や国外にはスコットランド、アイルランドから不満を蓄積, クロムウェルは議会で国王に穏健な態度を取ろうとする「長老派」を逮捕し、残った議会(残部議会)と国務会議による統治, 清教徒革命(ピューリタン革命)とは、17世紀のイングランドで起こった絶対王政を倒して共和政を樹立した革命のこと, 清教徒(ピューリタン)とは、イングランド国教会の改革を唱えた人々で、国王から弾圧されたことで革命の担い手になっていった, 側近をスコットランドやアイルランドにも強い支配をしたことから、スコットランド、アイルランドからの反発も招いた, ジェームズ1世、チャールズ1世の専制政治が、議会や国内の清教徒(ピューリタン)、スコットランドやアイルランドの不満を蓄積させた, チャールズ1世による遠征費の要求が議会との対立を決定的なものにし、庶民院出身のクロムウェルによってチャールズ1世が処刑される, クロムウェルは王政ではなく「共和政」を樹立し、護国卿としてイングランドを統治するも、徐々に軍事独裁的になっていった, 清教徒革命(ピューリタン革命)は、ジェームズ1世やチャールズ1世の専制政治によって国内外に反対勢力が生まれたこと、中産階級が台頭していたこと、イングランド国教会とその他の宗派の対立などが原因. この当時のイギリスにイチローさんという名の人がいたかどうかはさておき多くの市民が世の中を変えようと奮闘していたのです。 ふところがひどくさみーでニューディール 〔1933〕. 清教徒革命またはピューリタン革命(せいきょうとかくめい/ ... 第1次(1639年)および第2次(1640年)の主教戦争によってイングランド王室は財政の限界に達し、親政を中止して議会を召集せざるをえな … (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 今回は欧米で起きた市民革命についてまとめました。イギリスのピューリタン革命、名誉革命と権利の章典、アメリカの独立戦争と独立宣言、フランスで起きたフランス革命と人権宣言、ナポレオンの登場などについて確認していきます。, 17,18世紀のヨーロッパでは、市民階級が絶対王政を倒し、人は自由で平等であるという考えから近代的な民主主義が確立されていきました。, 絶対王政 … ヨーロッパでは王権が強く、王が権力を握っていました。イギリスのエリザベス1世、フランスのルイ14世(17~18世紀の「太陽王」「朕は国家なり」)などの王・女王が有名です。, 王権神授説 … 王権は神が与えたもので、国民は王に従わなければならないという考え。, ぜいたくな暮らしを送る王やその一族に対し、市民たちは重い税をかけられ、貧しい生活を送る者も多かったです。王の専制政治への議会の反発、貧しい暮らしをしていた市民の反発、資本主義経済の発展で経済力をつけた市民たちの台頭、さらに新しい思想が生まれたことも市民革命の背景にあります。, 啓蒙思想とは理性を重視、人間性の解放を主張、教会や絶対王政などの伝統的権威を批判するもので、フランス革命に影響を与えた思想のことです。ロック、モンテスキュー、ルソーが有名です。, ロック(イギリス)「統治二論(市民政府二論)」名誉革命を理論化、社会契約説、国民主権、抵抗権を説く, イギリスでは1215年に王の専制を防ぐ「マグナ・カルタ(大憲章)」が定められていました。世界でも初めて国王に対し制限を加えた憲章です。しかし守られないこともたびたびありました。, 17世紀のイギリスでは、国王のチャールズ1世が議会を無視した専制を行い、議会と国王側で対立が起きます。, このとき議会派はピューリタン(=清教徒、プロテスタント)が多くいたので、この革命をピューリタン革命(清教徒革命)といいます。, 15世紀後半、クロムウェルの死後に王政が復活し、国王と議会が対立しました。1688年、議会は国王のジェームズ2世を追放して、オランダから新しい国王ウィリアム3世を迎え、翌年に権利の章典(権利章典)を定めました。戦乱がなかったことから名誉革命と言われています。, 権利の章典では国王は議会の承諾なく法律を作ることができないことなど、議会の権利と国王の権利の制限が決められました。(立憲君主制), 16世紀後半からイギリスによる北アメリカの植民地化が始まり、北アメリカのほとんどがイギリスの植民地になっていました。北アメリカの市民たちは本国イギリスの重い税がかけられていました。, 1773年にボストンでイギリス東インド会社の貨物輸送線にある紅茶箱を海に投げ捨てた事件(ボストン茶会事件)が起こりました。この事件がきっかけになり、1775年、アメリカがイギリスからの独立を目指し、イギリスとの間で戦争(独立戦争)が始まりました。フランスも参戦し、1783年まで続きます。, 当初はアメリカが苦戦していましたが、サラトガの戦いで形勢が逆転、フランスやスペイン、オランダがアメリカの味方をし、アメリカが勝利します。1783年にパリ条約が結ばれ、アメリカが独立します。, 独立戦争を指導していたワシントンが、1789年にアメリカの初代大統領になりました。, イギリスで名誉革命があった頃、フランスでは絶対王政が続いていました。ルイ14世のときに豪華なヴェルサイユ宮殿が作られていましたが、市民たちは重い税に苦しんでいました。, 第一身分と第二身分は税を払う必要がない特権階級でした。その分市民に重い負担がかかっていました。3つの身分からなる三部会も開かれていました。, アメリカ独立戦争でフランスが参戦しましたが、このとき第三身分の人たちに税の負担が大きくかかりました。このことがフランス革命の起こりにもつながります。, 国王ルイ16世の時代、1789年に第三身分のみで構成される国民議会が成立した後、市民たちがバスティーユ牢獄を襲撃する事件が起こりました。反乱はその後も続いて国王軍が倒されました。(フランス革命)。, フランス革命で国民議会より人権宣言が出され、国民主権、自由権、平等権、私有財産の不可侵などが表明されました。, フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」は、このフランス革命のときに作られました。フランス国歌の歌詞が暴政を批判する内容になっているのは、フランス革命が背景にあります。, 1799年、軍人のナポレオンがクーデターを起こし、1804年に国民投票でフランス皇帝に即位、ナポレオン法典を制定し、私有財産の不可侵などを法律で定めました。フランスはヨーロッパで勢力を伸ばしますが、ロシア遠征で敗北、ナポレオンはエルバ島に流されました。, ナポレオン失脚後は再び王政が続くことになります(ウィーン体制)。その後1830年の7月革命、1848年の2学革命で共和制へと移行します。, 問1 イギリスで1215年に定められた、国王の専制を防ぐための憲章を何といいますか、カタカナで答えなさい。, 問2 16世紀から18世紀のヨーロッパでは、国王による専制政治が行われていました。このことを何といいますか。, 問3 1642年、イギリスで国王と議会の間で内戦が起きました。これを何といいますか。, 問5 1688年、イギリスの議会は国王を追放し、オランダから新しい国王を迎えました。これを何といいますか。, 問6 問5のとき、国王は議会の承諾なく法律を作ることができないことなど、議会の権利と国王の権利の制限が決められました。この法律を何といいますか。, 問7 理性を重視、人間性の解放を主張、教会や絶対王政などの伝統的権威を批判、フランス革命に影響を与えた思想を何といいますか。, 問8 「統治二論(市民政府二論)」を著し、社会は個人間の契約によって成り立つという社会契約説を唱えた、イギリスの人物は誰ですか。, 問10 「社会契約論」を著し、社会契約説と人民主権を唱えたフランスの人物は誰ですか。, 問11 1775年にアメリカ独立戦争が起きましたが、1773年に起きた何という事件がきっかけでしたか。, 問15 18世紀のフランスで、特権階級の人は税を払わず、ある身分の人たちが重い税を負担していました。農民、市民で構成されるこの身分は何と呼ばれましたか。, 問16 1789年のフランスで、問15の身分のみで構成される議会が成立しました。この議会を何といいますか。, 問17 1789年に起きたフランス革命は、何という牢獄の襲撃事件がきっかけで起きましたか。, 問18 フランス革命の時に国民議会より出された、国民主権、自由権、平等権、私有財産の不可侵などをうたった宣言を何といいますか。, 問20 問19の人物が制定した、私有財産の不可侵などを定めた法律は何と呼ばれていますか。.